Hiraku’s diary

特にコンセプトはございません。ご笑覧ください。

幸せとは何か考えない方が良い

幸せとは何かを考えさせることがあった。

それはとある1人の投稿。

 

詳しくは話せないが要約すると、自分も身近な人も自分の避けられない運命によって不幸になるかもしれないと言った内容。

絶望を感じていると言う投稿だった。

 

私はそれを見て、世に蔓延る、強制される幸せの形のようなものに疑問を感じた。みんなが幸せだと思い込んでいることは果たして本当に幸せなのか?

 

まず前提として、一人一人幸福感を感じるタイミングは違う。過程を楽しむ派の人もいれば結論で楽しむ人もいるし、過去で楽しむ人もいれば現在や場合によっては未来に向けて楽しむ人もいる。それは人それぞれあっていいと思う。

 

その中で、私が今回結論として述べたいことは、幸せを定義することはできないし、するべきではないということだ。

 

その人が思う幸せと自分が思う幸せには必ず埋められない溝があって、違う2人が同じタイミングで幸せを感じること自体が奇跡なのだ。日々刺激を受け、変わり続ける私たちが、他人の幸せはもちろん、自分の幸せも定義することなんかできないはずだ。それを闇雲に探ったり決めつけてしまったりすると、今のその相手との関係が壊れてしまうなんてことになりかねない。それこそ幸せから遠のいてしまう。

 

だから、幸せとは何かを定義するのではなく、今あるものや手に入れたものに対し幸せを感じることが重要なのだ。相手が自分にないものや現在2人にないものを幸せと定義するような人なら、その相手はそこにたどり着けないリスクを理解できていない。

 

豊かな日本では手に入れられないものの方が少ない。本当、私たちは傲慢だ。私たちは知らず知らずのうちに手の中にない幸せを願うことで、不幸になってしまう可能性を自分で産出してしまっている。もう、十分我々は幸せなのではないか?深く考えさせられた。

 

考えもまとまらず乱文となってしまい申し訳ない。

マスクが隠したもの

新型コロナウイルスパンデミックにより、突如として自粛を余儀なくされた我々が失ったものは数多い。

 

まずは週末の飲み会だ。今は以前より認識は緩くなったように感じるが、やはり人混みに自ら行くことは憚られる。好きな人と好きなだけ一緒に過ごせる時間をコロナが奪った。

 

また、旅行などもそうだ。潜伏期間や無自覚の可能性もあるため、迂闊に外に出歩くことさえできない。周りの目を気にしながら生活することになった。

 

しかし私たちは同時に、コロナから得たものもある。以前より電話をする回数が増えた、だとか出勤をする必要がなくなった人もいる。これはコロナがもたらした社会への新しいアイデアに他ならない。

 

私がその中で特に嬉しいのが、マスクだ。

マスクの働きはウイルスの出入りをブロックするだけではない。他にもたくさんの用途がある。例えば、黒色のマスクを身につければあっという間に小顔効果。私はまた、松田翔太に一歩近づくのである。(身長は松田翔太と同じまで追いついた。)

 

また、マスクの下でふざけることができる。電車の中に乗っている時、ふざけて前歯をむき出しにした。しかし、それに気がついた人は誰もいなかった。なぜなら、私がマスクをつけていたからだ。

 

仕事中でも似たようなことがある。間違えました、と言いながら癖で思わずぺろっと舌を出してしまった。私は可愛いので、仕草も可愛い。しかし、仕事中にするべき舌の動きではないため、しまったと思ったが大丈夫だった。なぜなら、私がマスクをつけていたからだ。

 

マスクはこのようにとても便利なものである。カレーを食べて口の周りについてしまった時、マスクで拭いてそのまま捨てられるし、口のところに穴を開ければストローを差し込んでスタバ女子にもなれる。

 

マスクが隠したものは、人の顔や表情ではなく、人のあるべき本当の姿なのかもしれない。

麒麟の話

物憂げな日曜の夜の5分をいただく以上、こちらも本気で書かせてもらう。大学3年生の時の話をさせていただきたい。

 

我が母校の熊本県立大学では、白亜祭という名前の文化祭が行われる。モテないサークルの男たちがウェイの大学生に無理やり焼きそばを買わされるような、スクールカーストが露呈する弱肉強食の世界。まさにこの世界の縮図であったと思い返す。

 

僕は言うまでもなく大学では草食中の草食、サバンナで言うところの「小さめのシマウマ」くらいの存在であった。そのため、例年白亜祭の裏番組と称し、大学から歩いて5分くらいのところにある吉野家でいろいろな具材を乗っけた牛丼をゆっくり食べるという非常に静かなイベントを一人で黙々と行っていた。白亜祭にちなんで、白菜もしっかりと食べる。一応学費も払って県大生だったので、そこは譲れないこだわりだ。店員さんも何も言わずに紅生姜のケースを新しいものに変えてくれたりしたっけ。

 

そんなあまりに可哀想な僕の携帯が鳴った。現在東京で絶賛鬱病の、当時ダンスサークルの友達からの連絡だった。

 

本郷奏多着いたっぽいよ。」

 

そう。その年の文化祭のゲストは大河ドラマ・「麒麟が来る」に出演中の本郷奏多。今も彼にはあまり興味がない。しかし、名前は知っていたので一応僕も見ておこうと店を後にし、雨の中傘をさして大学へと向かった。

 

中に入ると早速焼きそばを買わされた。2つだ。一つ300円くらいした。悔しかった。一応食べてみるとめちゃくちゃうまい。これも悔しかった。

 

用件を思い出した。本郷奏多。彼に会いに、居ると聞いた大ホールへと向かった。すると入り口に案内の生徒が立っていた。無視してそこに入ろうとすると、チケットは?と聞かれた。僕は、ないと答えた。熊本県立大学を運営している気になっているその人たちに対し、学費を払って設備や学びを確保しているのは我々学生であるということ、一眼くらい見てもいいのではないか?と聞いた。白亜祭どころか、一般常識的にもアウトな質問である。いい加減にしてくれと言われたので、大ホールを後にした。

 

しかし、僕は諦めきれなかった。焼きそばを無理やり買わされ、一人で牛丼を食べてばかりの白亜祭で大学生の文化祭の思い出が埋め尽くされることが、歯痒くて仕方なかったのだ。

 

僕は大ホールの裏に回った。裏から侵入してでも、本郷奏多を見てやる。本郷奏多もここまでガッツを見せれば、握手の一つくらいしてくれるだろう。雨がひどくなり、大きな水たまりもできていた。しかし、背に腹は変えられぬ。既にグショグショの靴を脱いだ。水溜りに裸足でズブズブと入り、壁をよじ登ろうと手と足をかけたところだった。運営のスタッフが僕の奇行を発見し、本当にやめてください!!!!!と叫んだ。その時我に返った。

 

僕は虚しく、家路についた。

俺が本当に「死亡」したことになった話

仕事中、父親から電話がかかってきた。

 

「拓、生きてるよな?」

 

最初、意味がわからなかった。こんな質問されたこと今まで一度もないし、父親はそんな寒い冗談を言う男ではない。

詳しく訳を聞くと、とんでもないことが今、俺の身に起きていることがわかった。

 

今俺は一人暮らしを辞め、実家で暮らしている。認知症になってしまった祖父や介護する祖母を支える父親が暮らすこの実家。祖父は尿意すら判断できなくなって入院した。こんな状況の実家を、長男として見捨てることはできなかった。

 

そして昨日である。ある地域の人が俺の実家を訪れた。その人は家にいた祖母に対し封筒を渡した。香典だった。亡くなった人を弔う金品である。

祖母は不審に思い何の話かと聞くと、その人はこう言ったという。

「この度はお孫さんの拓さんが残念です。やる気に溢れる優秀な方だったとお聞きしています。お悔やみ申し上げます。」

祖母は言葉を失い、地域の人が帰るのを見届けた。すぐに父親に電話し、父から安否の確認の電話が来たというわけである。

 

どうやら俺は市役所の中で2020年5月1日に「死んだ」事になっているらしい。仕事から帰り父親からこの話を聞いた時、馬鹿げていると笑ってしまいそうになる気持ち1割、気持ち悪さで吐き気がする気持ち9割になった。死因は分からないとなっているらしい。本当に気色が悪い。

 

俺は明日、父親に仕事を少し抜けてもらい市役所を訪れ死んでいないと大きな声で言おうと思う。本当に俺は死んでいない。ほっぺをつねったら痛いし、今晩食べた麻婆茄子も美味しかった。正直めちゃくちゃ気持ち悪いし怖い。

 

もし市役所のミスとかなら本気でブチギレようと思っている。俺が生きていると、生きているから怒れるんだと、涙を流しながら、訴えかけたい。

マッハ自転車

マッハ自転車をご存知だろうか。

 

ポケモンのエメラルド世代を経験してきた私と歳の近い人ならこの言葉が懐かしく感じられることと思う。

 

私はダート自転車のような、モテたい人が乗る見た目だけ奇抜なスピードも出ない、何故か跳ねることができる意味不明な自転車には全く興味がない。段差を自転車で降りれることがかっこいいとは思わない。前輪を上げてドヤ顔をされてもなんと言葉をかければ良いかわからない。そもそも、自転車は歩くよりも速く、そして燃料の代わりに脚力を使うことで経費削減できることがメリットなのに、自転車に乗ること自体を目的としてしまう本末転倒な自転車に乗るなんて、人生をわき見運転しているみたいで全く惹かれないのだ。

 

ダート自転車に乗っていた人は気を悪くしないで欲しい。みなさんが乗っていたその自転車は、「おしゃれに時間をつぶせる物体」としては非常に優秀なモノなのだ。だから私にとっての「安いギター」と同じ価値のものである。

 

ところで、今回取り上げたマッハ自転車だが、言うまでもなく私はゲームの中でその自転車に憧れていた。本気でかっこいいと思い、いつか乗りたいとずっと思っていた。こんなにスピードが出る自転車に乗れば、髪を乾かすことができるし、元気を持て余した犬の散歩に役立つし、暗い道で怖い人にあってもすぐに逃げられる。メリットだらけだ。

 

そして私は大学生になってやっとマッハ自転車を買うことができた。現実世界ではロードバイクと言う。タイヤが細く、ハンドルのところが傘の持つところみたいにカーブしている。スタイリッシュなボディーにあしらわれたシンプルなデザインが非常にカッコ良く、大変気に入った。

さっそく乗ってみた。サドルが細く、すこし肛門周りに鈍痛がするものの、本当にスピードが出る。快適な自転車生活の始まりだった。

ある日、いつものように自転車に乗り学校へと向かった。その日は学校終わりにバイトがあったのでリュックにはたくさんの参考書を入れて向かっていた。途中、信号が目の前で赤に変わったのでいつもと違う道を通っていくことにした。しかし、何も問題はない。スピードが出るからどんな道でも間に合うのである。僕は、自分が強くなった気がした。

 

そして裏道の車道をすいすい通っていると、渋滞に巻き込まれた。しかし、自転車は押せば歩行者になることを知っていた僕は、すぐに自転車を降り歩道を歩いた。歩道は狭く、向かってくる人がいればどちらかが車道に降りなければならないほどだった。

 

僕は時計を見た。思ったよりも時間が経っており、講義が始まりそうである。やばい、もうこれは乗るしかない、そう思い、重たいリュックを背負ったまま再度ロードバイクに乗った。いつもよりサドルが肛門周りに食い込んだことを覚えている。しかし、さすがはロードバイク、すぐに軌道に乗った。その瞬間のことだった。前傾姿勢の私の背中にあったリュックが突然右手の方にずり落ちた。私は小さく「アン」と言いバランスを取ろうとしたが、無駄だった。思いっきり右にハンドルを取られてしまった。

 

歩道から落ち、渋滞している車の一つに突っ込んだ。銀色の軽自動車だったと思う。そしてその反動で再度歩道に乗り上げ、たまらず僕はその車道沿いの店の駐車場に倒れ込んだ。ペダルがふくらはぎに突き刺さり、痛みで起き上がれなかった。

 

その車から人が出てきた。そして、私の顔を見るや否や、えぇ?!拓くん?!といった。あれ、なんで、、と僕が言うと、私あなたの先輩の保護者よ。一回会ったの覚えてない?と言われた。この瞬間、本当に申し訳ないが、知り合いで良かった、、と思った。

 

その人はとてもいい人だった。「車の心配は要らないよ。傷なんかもついてな、、、あっ、そこそこいっちゃってる、、いやでも気にしないで!!ヘコミとかないから大丈夫大じ、、、あ、ここ結構へこんでるな、、いや、大丈夫よ!気にしないで!」と、4年経った今でも鮮明に思い出せる顔で言葉を僕にかけてくれたが、本当に見過ごしてくれた。感謝である。マッハ自転車は男子生徒の夢であるが、私のその日のふくらはぎは、真っ赤自転車だった。

仇が仇で返ってくるパターン

 

与えた愛は、愛で返ってくる。

これは僕が今までの人生経験の中で見出した事実に近いことの一つである。

大学生の時の話である。2年生まではかなり真面目だった私が講義に出た際、いつも勉強を教え合う関係の友達がいないことに気がついた。LINEでどうしたのか聞くと、体調を崩しご飯もろくに食べられていないとのこと。彼は一人暮らしであまり料理をしない人だった。その日はバイトもなかったので、講義が終わってすぐ、近くのスーパーで具材を簡単に買い揃え、その友達の家に向かった。家に上がると、案の定ベッドで横になって動けないようだった。かなり熱が出ているらしい。

僕はすぐにキッチンへ向かい、簡単に肉うどんを作った。刻んだネギを乗せ、彼と一緒に食べた。彼はとても喜んでいた。お前は彼女か!と言われたので、いや、違うよ、と真面目に返した。僕は友達が食べ終わるのを見届け、自宅へ帰った。

その数ヶ月後に、テスト期間が訪れた。大学のテストはシビアである。落とせば来年もその講義を取らなくてはならなくなる。普段バイト尽くしの学生も、その期間はバイトをログアウトすることが多い。

僕もいつも通り勉強をしていた。暗記が苦手な僕は、アメリカ文学の作品名を覚えるのに手間取っていた。その時、うどんの彼が一枚の紙を僕にくれた。作品名と作者名の一覧になっていた。まさに、その時の自分が作ろうと思っていたものだった。

前世話になったからな!と、彼は笑った。僕は心からありがとうと言い、そのテストで自分にしてはそこそこいい点数をとることができた。愛が返ってきた瞬間だった。

 

それは、僕が高校生の時である。

僕は片道1時間半かけて高校へと通学していた。そのうち、50分ほどが電車だった。その日も、帰りの電車は混んでいた。座れるまで立つしかなかったので、壁に寄りかかっていると、突然、腹の調子が悪くなった。僕は昔から、すぐ腹を壊す。冷たいものや辛いものを食べても、扇風機が当たったまま寝てしまってもすぐに変な音がしだす。その日は夏だったので、きっとアイスを食べたせいだろう。

腹の中の変な音は、ガスへと変換した。内側から腹が膨れ、排出する以外の解決法がないと悟った。満員電車。罪悪感はあったが、思いっきり行った。しかし、この身体で伊達に17年生きていない。無音で全てのガスを電車内に放出した。

すると、私の近くで座っていた某私立高校の女子生徒の数人が、

「クッサ!誰か屁こいたけんぜったい!マジありえん。」

と話し出し、その匂いの元を辿り、僕の方を見た。僕はとっさに、怪訝な顔をして、近くにいたゴツめの高校生集団を睨んだ。幸いなことに、僕は割とスリムで髪の毛も短く、清潔感があったので、その女子生徒たちはそのゴツい男たちが空気を汚したとばかり思ってくれたようだった。僕は、自分の排泄物を人の排泄物に仕立て上げたのだ。完全犯罪、天晴れである。

 

その数日後のことだった。通学電車に乗ってうとうとしていると、いつも降りる駅を通り過ぎ、その次の駅に到着しそうなことに気がついた。3年無欠席の称号を得たかった僕は是が非でもその駅で降りて遅刻を避けたかった。急いで立ち上がり、混んだ車内の人々をかき分け、出口へと向かった。すると、例のゴツい人たちの高校の相撲部らしき生徒たちが出口に固まっていた。

「すみません、すみません!」

割と大きめの声で叫んだが彼らはイヤホンをつけている。仕方ないと思い体を横にして手を彼らの体の間にねじ込んだ。それでやっと気づいてくれたものの、ドアは無念にも閉まってしまった。

なんとか高校まで全力で走り間に合ったものの、汗だくだったので、八代から走ってきたの?と周りから揶揄された。恥ずかしかった。

僕は、電車の中で屁をこいて話題になった時は、手を挙げて自分だと言おうと決めている。

コミュニケーション

先日、大学の先輩と飲みに行くことになった。卒業以来あまり顔を合わせていなかったこともあって久しぶりの再会を楽しみに熊本市街へと車を走らせた。

 

相変わらず、2月の寒さを感じさせないほどアーケードは賑わっていた。その雰囲気が僕は好きだ。よく、買う気はさらさらない店に入って知らない人の会話を盗み聞きする。最近聞いた話の中でホットだと思った話題は、彼女と別れたいから今からシミュレーションしていい?と男同士で模擬破局を行なっていたことだ。

A「俺、今本当に仕事頑張りたくて、土日とかも職場に出たいくらいなんだよね。だから、寂しがりなYちゃんにとってストレスの源だと思う。だから本当申し訳ないけど別れて欲しい。」

 

Y役の男「嫌よ。私A君のこと支えたいって心から思ってる!寂しい気持ちなんか我慢できる。だからもう一回考え直してくれないかな?お願い!」

 

A「いや、実はずっと前から考えてたんだ。それで最近、俺もYちゃんのこと好きだからってより寂しいから付き合ってたんだって気づいたんだ。そんな、俺の寂しい想いを満たしてくれたYちゃんに寂しい思いさせるなんて俺にはできないよ。」

 

Y「私のことなら大丈夫だって。本当、もう無理かな?、、、、いや、そこはさ、仕事頑張りたいてより、仕事頑張りたい俺の気持ちを応援して欲しいみたいな、良心に訴えかける感じがいいと思う。コンビニの、トイレをきれいに使ってくれてありがとうございますみたいな手法でさ、別れることで俺の仕事への熱意を応援してくれてありがとうみたいな、自分の要求を前提とした感謝を伝えるやや悪質な手法を使うといいと思うぜ。」

 

A「なるほどな。やってみるわ。」

 

Y役の男は恐ろしいやつだと思った。

 

そんなこんなで居酒屋に到着し、先輩たちと日付が変わるまでお酒を飲んだ。そこで1人の先輩が最近婚約したと言う知らせを聞いた。

婚約というステップに踏み出す勇気は僕にはない。そもそも彼女がいない。だから机上の空論でしかないものの、一つの夢がある。

サプライズで婚約をしたいということだ。今回、2つのストーリーを考えてみたので、コメント等で、どちらの婚約ストーリーがいいかを投票していただきたい。

①スイーツ

記念日にスイーツ屋さんに行く。そして彼女にケーキの写真を撮ってもらうよう指示し、彼女が写真を撮ることに夢中になっている隙に僕は席を外し店員さんに合図を出す。すると、音楽が急に流れ出し、裏から花束を持った僕が出てくる。そして記念日おめでとうといいその花束を渡す。彼女はありがとうと言って泣き出す。まあまあそんなに泣くなよ。催涙ガスを浴びたわけでもあるまいし。とクールに決める。そして一通り彼女が泣き止んだところで、その花束を束ねているところを見て欲しいという。彼女は指示通り根っこを見て歓声をあげる。なんと、花束の花を束ねていたのは婚約指輪だったのだ。

 

②猫

家で猫カフェに行こうと唐突に叫ぶ。驚いた彼女は持っていたホットサンドを膝にこぼし、買ったばかりのスカートがケチャップまみれになる。うわーお気に入りだったのに、、と彼女は涙ぐむ。その涙を自分が昔着ていたTシャツで作ったボロ雑巾のようなハンカチで拭いてあげる。着替えた彼女を助手席に乗せ猫カフェへと向かう。60分で予約をして、彼女が猫に夢中になっている隙に僕は席を外し店員さんに合図を出す。すると、音楽が急に流れ出し、裏から花束を持った僕が出てくる。そして記念日おめでとうといいその花束を渡す。彼女はありがとうと言って泣き出す。まあまあそんなに泣くなよ。催涙スプレーを浴びたわけでもあるまいし。とクールに決める。そして一通り彼女が泣き止んだところで、その花束を束ねているところを見て欲しいという。彼女は指示通り根っこを見て歓声をあげる。なんと、花束の花を束ねていたのは婚約指輪だったのだ。

 

こんな妄想を繰り広げた休日。何かいいことないかな。