Hiraku’s diary

特にコンセプトはございません。ご笑覧ください。

ライフラインを棄てた男

コロナは人の体だけではなく、心まで蝕んでしまう。

 

疲れた心と体を癒すのは、休日だ。私は休日になると、必ず外に出たくなる。休日に与えられた自由を、極限まで謳歌するためである。

 

家にいることももちろん選択の中の一つだ。家にいる時は、たとえばアイスをあえて外に出し、ドライヤーを少し当てて溶かす。変形し始めたらすぐに冷凍庫に戻す。するとどうだろう。またアイスは元通り凍るのだ。これを何度繰り返しても、アイスは凍って僕の目の前に現れる。この神秘的な、アイスがアイスであろうと抗うものの、ドライヤーの熱の前では儚く溶けてしまうその姿がとても愛おしい。このアイスのパーソナリティこそがアイスをアイスたらしめる。

 

アイスが美味しいのはアイスに砂糖が入っているからではない。いつかは溶けてしまうという欠点があるからだ。

 

俯瞰すると明らかに奇行だが、これと似た感性を持っている人は世の中に意外と多い。例えばミロのヴィーナス。かの有名な、黄金比の代表とされる古代ギリシアのモニュメントだ。

 

彼女には、両腕がない。しかし、これこそが世界中の人を魅了する要因の一つなのだ。こんなに美しい人の、腕がないからこそ、美しい。欠点があるからそこを想像で補うことで美を感じてしまうのだ。

 

そんな世界で生きている私たちの中に、ついに美しさを追求し、ライフラインを棄てるという大きな欠点を背負おうと思った男がいる。東京で1人、毎日なぜ生きていけているのか不思議なくらい生活力の低い、最近調子のいいダンサーである。

 

たびたびこのブログに登場する中々の逸材であるが、彼はついに、ガスと電気と水道を、棄てた。彼は、生きていく上で必要と言われるこの三つを棄てるという欠点を持つことをあえて選んだのだ。

 

しかも彼の家は、ベッドとキッチンが繋がっている。食欲と睡眠欲を、同時に満たしたかったのだろうか。僕はさすがにその光景を目の当たりにした時には、いよいよ人間辞めたのか、と目を見張った次第である。

 

彼は以上のような、東京に住んでいるとは関係のない、「拘らなさすぎる性格」に命を奪われようとしている。僕は彼とたびたび連絡をしている。声を聞くと、少し胸が熱くなる。なんで生きてられるのか。正直、宇宙ステーションの野口さんと電話しているくらいの感覚だ。よく生きていられるな、と心から尊敬の意を表するとともに、彼の亀のようなあゆみの成長を、これからも見守りたいと心から思う。